ディスカッション
貿易の99%は海運。輸送力は世界第2位の海洋国家。始まりは海の明治維新。 岩崎弥太郎 三菱の創始者 高知県安芸市 土佐藩の下級武士 いごっそう(負けん気の強い豪快な人物) 1854年21歳 江戸へ出て勉学をするも1年で父が村の庄屋との争いで 重体となった知らせを受け急遽土佐へ戻り奉行所へ訴える。 奉行所が取り合わないので奉行所の壁に賄賂で裁くと落書きをし投獄される 牢屋で知り合った泥棒にそろばんを習いそれが後に役に立つ。 1867年34歳 長崎で藩の貿易事業に携わる。土佐商会で会計を担当するも18万両の借金 接待攻撃、脅し、はったりで借金を先延ばしを計ることで責任者となる。 坂本龍馬 (才谷)土佐藩所属の組織、海援隊を率いる。 海援隊が荷役を運び利益を受け、土佐商会が経理を担当するという関係。 明るくて聞き上手な人物で弥太郎も惹かれ、意気投合する。 1867年4月 いろは丸事件、紀州藩の船と衝突し沈没。蒸気船同士の初めての事故。 いろは丸は伊予大洲藩から借りていた船で3万6千両の弁償が必要。 紀州藩との談判で竜馬は「万国公法」国際的な航海規則で決めるべしと主張 船と最新式の銃四百丁の弁償8万4千両の獲得に成功する、 1989年沈没したいろは丸を調べると銃400丁の痕跡はなかった。 この事件で弥太郎と竜馬の絆は深まるも5ケ月後龍馬は暗殺される。 1871年38歳 廃藩置県で、土佐商会の借金、船も引き継ぎ海運業を旗揚げする。 1872年5月 三井、鴻池等の豪商と半官半民の帝国郵便蒸気船会社設立 三菱船3隻に対し、16隻を保有し政府の年貢米輸送の独占等政府の保護 おかめの面 三菱は愛嬌が大切とおかめの面を会社に飾り社員教育を徹底する。 1874年 台湾出兵、帝国郵便蒸気船会社が政府の要請に尻込みするも、三菱は受ける この件で政府は帝国郵便蒸気船会社を解散させる。 1875年2月 上海航路に参入(欧米にとって日本を抑えるための重要なルート) アメリカと9ケ月に及ぶ値下げ合戦に勝ち、アメリカは撤退。 しかしイギリスが参入。幹部の給料は3分の一カットする。 起死回生の策 荷為替金融を生み出す。イギリスが撤退。 東洋の海上王と言われるようになる。 1885年2月 弥太郎、胃がんで亡くなる。(52歳)弟、弥之助が後を継ぐ。
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